いつもお世話になっております。

雑多な妄想や日常を書いていきます。

歪曲した僕の中のフォレストガンプ

noteで埋もれてしまった記事に光を当ててあげたい。

ということで、書き直して記事にします。

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何かが終わる時の熱量が、それを始めた時以上だったことがあるだろうか。

熱量というのは、どれだけ気持ちを入れていたか、ってこと。

つまり始まった時よりも、終わる時の方が気持ちが強い状態。

やりきったっていうのだろうか。

なんとなく、人生でその経験を多く積み重ねている方が、より深みのある人間になれる気がする。

僕には1度だけある。

いや、1度しかない。浅い人間だろうか。そう言われてもいい。言わせておけばいい。

 

 勘違いさせていたら申し訳ないが、自慰の話だ。

 

始めた時より終わった時の方が気持ちが強くなってた自慰、あります?

下品な話だとは思っていない。神聖な話だ。

 

僕はAVが好きだ。自慰をしなくたって観る時があるくらいだ。僕にとってAVは映画やドラマ、絵画、美術品と一緒。ただコンテンツの1つなんだ。これは愛だ。他人の愛にまで口を挟む権利は誰にもない。

 

AVを観るという行為を笑うな。笑ったやつらは地獄の果てまで追いかけてやるからな、追いかけるだけだ。逆に怖いだろ。お前ら覚悟しろ。

取り乱してしまった、話を戻そう。

 

男の場合しか語れなくて申し訳ないが、自慰の後は大体無感情になると思う。大作の終演後に、より気持ちが強い状態に持っていくためにはどうするか。無感情で終わりたくない。

きっとやりきれたら、満足度は高くなるはずだ。顧客満足度を高めることが大切だと思いませんか。思いますよね?

 

やりきりたい。毎回最高のラストを飾りたい。ライブで盛り上がる時にパーンッてなるアレみたいなラスト。

だが毎回ライブを大成功させることは難しい。当り前だ。その日の気分や場所など、毎回同じコンディションで臨むなんて不可能だ。

 

ルーティーンが大切なのか。

 

まだわからない。答えは見つからない。でも、走り抜けたいんだ、最後まで。

 

詰まるところ、惰性でする自慰は最低の行為だ。

股間に手を当てて考えて欲しい。心当たりがあるだろう。

 

ダセニー(惰性でする自慰をそう呼ぶ)は、誰の為にもならない。あんなことはやめて、大切なものは何かもう一度考え直して欲しい。方法はまだ分からないけど、走り抜けられるはずなんだ。

その先にこそ最高の自慰が、愛が、待っているんじゃないだろうか。

 

僕には1度だけある。

いや、1度しかない。だけどたった1度の愛が、僕には誇りなんだ。

 

僕は頭は良くないけど、愛がどんなものかは知っているよ。

フォレスト・ガンプ、好きです。

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たくさんの駄文が埋もれているnoteはこちらです。

note.mu